東京高等裁判所 昭和57年(行コ)234号 判決 1983年6月29日
控訴人
国
右代表者法務大臣
秦野章
右指定代理人
須藤典明
外三名
被控訴人
葉茂源こと
木下雅清
右訴訟代理人
浜崎憲史
浜崎千恵子
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、次のように付加するほかは原判決の事実摘示(原判決二枚目表一行目から三枚目裏四行目まで)と同一であるから、これを引用する(ただし、原判決二枚目表三行目の「日本人」を「日本人(内地籍の日本国民。以下同じ。)」に、三行目から四行目にかけての「(いと)」を「(以下「いと」という。)」に、五行目から六行目にかけての「旧国籍法(明治三二年法律第六六号)」を「旧国籍法(明治三二年法律第六六号。以下同じ。)」に、七行目、一〇行目及び裏二行目の「取得した」をいずれも「取得し、内地籍に在る者としての法的地位を取得した」に、裏三行目の「台湾人」を「台湾人(台湾籍の日本国民。以下同じ。)」に改め、三枚目表一行目の「生来的日本人」の次に「、すなわち、出生により内地籍の日本国民となつた者」を加える。)。
(被控訴代理人)
1 控訴人の後記当審における主張は争う。旧国籍法四条の規定は、血統主義を貫くと無国籍者が発生する場合があることから、これを防止する趣旨で設けられた規定である。そして、学説の説くところによつても、母子関係は分娩によつて当然に生ずるのであるから、「父母カ共ニ知レサル」場合の典型的なものは棄児の場合であるというのであつて、決して棄児の場合に限られるものではない。棄児の場合に限られると解するときは、無国籍者の発生を防止するという本来の立法趣旨が没却されることになつて相当でない。
仮に「父母カ共ニ知レサル」場合を棄児の場合に限ると解するとしても、右の立法趣旨から、国籍法上の棄児とは、「国籍の帰属をめぐつて、その者から両親ないし出生地を知る手掛かりを得ることのできない子」又は「父母が事実上判明しない子ないしは法的にいかなる親子関係も確定していない子」等と解され、一般的な棄児とは異なつた定義づけがなされているのである。被控訴人は、第一次的には、木下鹿藏、いと間の子として神戸市において出生したのであるから旧国籍法一条により日本国籍を取得し、第二次的には、仮に鹿藏の子ではないとしても、日本人たる木下いとから出生したものとして、同法三条により日本国籍を取得し、また第三次的には、いとの子でもないとすれば、父母が共に知れず、かつ、日本において出生したから、同法四条により日本国籍を取得したと主張するものであつて、右第三次的主張は、被控訴人が前述の棄児のいずれの定義にも該当するとの趣旨を含むものである。
2 <証拠関係省略>
(控訴代理人)
1(一) 旧国籍法四条は、「日本ニ於テ生マレタル子ノ父母カ共ニ知レサルトキ又ハ国籍ヲ有セサルトキハ其子ハ日本人トス」と規定して、生地主義に基づく国籍取得規定を置いている。右の規定は、現行国籍法二条四号と全く同趣旨のものであるが、生来的な国籍の取得について血統主義を原則としている我が国が、その例外として生地主義による規定をも併せ有しているのは、血統主義を貫くことによつて生ずる欠陥を補うという意図から出たものにほかならない。すなわち、血統主義を厳格に貫くと、父母が共に知れないとき、あるいは父母が共にいずれの国の国籍をも保有していないような場合には、日本においてその父母から生まれた子は無国籍者とならざるを得ないこととなるため、多くの立法例と同様に、無国籍者の発生を可及的に防止するという観点から生地主義を採用したものなのである。
このように、血統主義を採用している我が国が生地主義に基づく規定を置いているのは、あくまでも血統主義を補完するためにすぎないのであるから、当然のことながら、旧国籍法四条の解釈に当たつては、厳格解釈の立論が採られなければならない。そうでないと、我が国が本則として採用している血統主義の立場と相いれない結果を招来する結果となつてしまうからである。したがつて、同条にいう父母が共に知れないときというのは、事実上だれが父母であるかが判明しない場合、すなわち、いわゆる棄児の場合に限るものと解すべきである。
かくして、同条前段の「日本ニ於テ生マレタル子ノ父母カ共ニ知レサルトキ」との規定が具体的に適用されるのは、棄児の場合に限られることになるのであり、多くの学説も、同条前段の適用があるのは棄児の場合に限られるとした上で、棄児とは「国籍の帰属をめぐつてその者から両親ないし出生地を知る手掛かりを得ることのできない子」とか、更には、「父母の事実上判明しない場合で右の規定の適用が考えられる典型的なものは棄児の場合である。」と説いているのであつて、この点は、現行国籍法案を審議した昭和二五年四月一五日の参議院法務委員会における政府委員の国籍法二条四号についての説明が、棄児のみに対する適用を当然の前提としているという立法の沿革によつても明らかに裏付けられているのである。
(二) ところで、日本国籍の取得は戸籍への登載をもつて具体化されるものであるところ、戸籍法は、棄児が生地主義に基づく規定によつて日本国籍を取得するものであることから、棄児の戸籍を編製するため、特別の規定を置いている。
すなわち、棄児が発見された場合、発見者又は発見の申告を受けた警察官は、市町村長に申し出ることとされ、市町村長は、氏名をつけ、本籍を定める等により棄児の戸籍を編製することとなつている(戸籍法五七条、昭和二二年法律第二二四号による改正前の戸籍法(大正三年法律第二六号。以下「旧戸籍法」という。)七八条)のであり、これは、本来の出生届義務者(戸籍法五二条、旧戸籍法七二条)である父母等が判明せず、その手掛かりもないことから、市町村長が法律上特別の届出義務者とされ、生地主義に基づく規定によつて日本国籍を取得した棄児について戸籍が編製される手続的保証を与えているのであつて、正しく生地主義に基づく規定(国籍法二条四号前段、旧国籍法四条前段)が棄児にのみ適用されるとする法解釈をよく裏付けるものというべきである。
(三) 結局、国籍取得についての生地主義の規定及びそれを受けた棄児に関する戸籍法規を総合的に解釈すれば、旧国籍法四条前段の「父母カ共ニ知レサルトキ」とは、出生子について通常予想されている届出期間(旧戸籍法六九条一項参照)ないしはその直近の時期において、旧戸籍法七二条の規定により出生届出の義務を有する者、例えば父・母・同居者(事実上の生父)等の存在が、関係者に全く不明であり、かつ、その手掛かりも得られない場合であると解すべきである。
(四) ところで、本件では、仮に原判決が認定するように、「昭和三年夏ころ神戸市内において德馨のもとに生後間もなく引き取られたことは明らかであ」るとしても、これは全く棄児とは認め得ない状況であつたといわねばならない。すなわち、その当時、もらい受けた関係者は、出生届出義務を有する父、母、戸主、同居者あるいは分娩に立ち会つた医師等(旧戸籍法七二条)を知り、ないしは知り得た立場に在つたに違いないことが、社会通念上当然というべきだからである。
2 <証拠関係省略>
理由
一当裁判所は、被控訴人の本訴請求を認容すべきであると判断するものであつて、その理由は、次に改め、加えるほかは原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。
1 原判決五枚目裏二行目の「病院から」から一〇行目の「できないし」までを「李氏絨が子供ができないため神戸市内の病院を回つて治療を受けていたことから、いとと被控訴人のことを知り、生後四〇日目くらいの被控訴人を病院から引き取つた旨の德馨の供述記載部分がある。しかし、両名の各供述記載部分の間には、被控訴人の存在を知る端緒について食い違いがあつて不自然な感を免れない上に、被控訴人との密接な関係を考慮すると、李氏絨の右供述記載部分に全面的な信をおくことは危険であると考えられるし」に、六枚目表四行目の「記載部分は前掲」を「記載部分も、成立に争いのない」に改め、九行目の「第八号証」の前に「原本の存在及び成立に争いのない」を加え、七枚目表一一行目の「現在も」を「最近まで」に改め、七枚目裏九行目の次に「当審における証拠調べの結果を併せて本件に現れた全証拠を検討しても、いとと被控訴人との間の母子関係を認めるには足りないものといわざるを得ない。」を加え、八枚目表七行目の「日本」を「日本(内地)」に改める。
二控訴人は、当審において、旧国籍法四条前段の「日本ニ於テ生マレタル子ノ父母カ共ニ知レサルトキ」との規定が適用されるのは、出生子について通常予想されている届出期間ないしその直近の時期において、旧戸籍法七二条の規定により出生の届出をする義務を有する者の存在が関係者に全く不明であり、かつ、その手掛かりも得られない棄児の場合に限られると主張するので、この点について判断する。
旧国籍法は、生来的な国籍の取得について、血統主義を原則としながら、父母が共に知れないとき、又は国籍を有しないときに限り、補充的に生地主義を採用している。すなわち、旧国籍法四条は、日本において生まれた場合において、父母が共に知れないとき、又は国籍を有しないときはその子を日本人とする旨規定するが、これは血統主義を厳格に貫くときは、右のような子は無国籍者となつてしまうことから、できる限り無国籍者の発生を防止するため、血統主義の例外として生地主義を採用したものにほかならない。ところで、旧国籍法四条の規定を同法一条ないし三条の右規定を対比して統一的に解釈すれば、同法四条前段の「父母カ共ニ知レサルトキ」とは、子との間に法律上の親子関係の存在する父及び母が共に知れない場合をいうものと解するのを相当とするところ、母とその非嫡出子との間の親子関係は原則として分娩の事実により当然発生すると解すべきであるから、結局右規定の適用を受けるのは、事実上の父及び子を分娩した母がいずれも判明しない場合並びに事実上の父は判明しているが、これと子との間に法律上の父子関係が存在せず、かつ、生母が判明しない場合であると解するのが相当である。そして、実際上の問題として、その大多数を占めるのは右の前者の場合であり、その中でも主として控訴人の主張するような意味における棄児の場合がこれに該当するものと考えられる。しかしながら、右規定の適用を受けるのが右の棄児に限られると解するときは、無国籍者の発生を可及的に防止しようとする前記同条の法意に反する結果を招くこととなつて相当ではなく、右規定をそのように限定的に解釈すべき理由はない。
控訴人は、旧戸籍法七八条が、棄児が発見された場合の棄児発見の申出の手続を定め、棄児の戸籍を編成するための特別の規定を置いていることをもつて、これは棄児が生地主義に基づく規定により日本国籍を取得するものであることから、その戸籍編成について手続的保証を与えたものというべきであり、生地主義に基づく旧国籍法四条前段の規定が棄児にのみ適用されるものであるとの法解釈を裏付けるものであると主張する。しかし、右主張は採用することができない。すなわち、旧国籍法四条前段の規定により生来的に日本国籍を取得した子は、父母が日本人であることによつて日本国籍を取得するものではないから、父母の本籍を取得することができず、本籍を有しない日本人となり、旧戸籍法一六〇条の規定により区裁判所の許可を得て就籍の届出をすることによつてはじめて戸籍簿に登載されることになるのであるが、乳幼児である棄児の段階で発見された子については、日本の地理的条件から考えて、日本で生まれたことが明らかであるから、あえて区裁判所の判断を経るまでもなく、市町村長において戸籍登載をしても差し支えないと考えられる。旧戸籍法七八条の規定は、この趣旨から棄児についての戸籍登載の手続を定めたものにすぎないのであつて、旧国籍法四条前段の規定の適用を受ける者が控訴人の主張するような棄児に限られるとの前提に立つものと解することはできない。
三よつて、当裁判所の右の判断と結論を同じくする原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから、行政事件訴訟法七条、民訴法三八四条により棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(貞家克己 近藤浩武 渡邉等)